かねてからの懸案事項だった、昨年の311以降に行われた計画停電による
お店の営業損害への賠償請求書を本日、東京電力高崎支社に提出しました。
当店は、2006年4月29日に開店しましたので
2007〜2010年までの3月と4月の平均売上高と
2011年3月と4月の売上高とを比較し、約60%の売上減でしたので
その差額分を請求させていただきました。
なぜこの時期になったかというと
2011年度の確定申告は2012年3月に終わったばかりでしたので
関係書類の写しを用意したりと何かと時間がかかってしまい今日に至りました。
今日対応していただいた、東京電力高崎支社の
総務グループマネージャーの奈良さんと唐澤さんには
本社に投げてきちんと対応させていただきますと仰っていただきましたが
請求書を預かったという預かり証をくださいとお願いしたら
色々問題が生じるのでご容赦くださいとのことで預かり証代わりに名刺を頂戴しました。
また、計画停電を行った、昨年3月から4月にかけて
当時多くの方々から賠償請求をされたそうですが
震災の影響によりますのでご容赦くださいという
対応をさせて頂きましたとも仰ってましたが
それは要するに震災なんだから我慢しろよって事だったのでしょうか?
誰も泣き寝入りはしないと思います。
今回、計画停電による営業損害を事業主として請求させていただきましたが
損害賠償請求書を東京電力に提出させていただいた目的はもう一つあって
地域一社独占から、自由な発電事業を行える
発送電分離を早く進めて欲しいというのも一つです。
震災直後のように発電設備に不備が生じた場合
民間企業にも関わらず地域一社独占の現状だと、計画停電や電気料値上げなどを
生じさせてしまう元凶になると私は考えてます。
他の民間企業が発電事業を自由に行え送電できる社会にしないと
問題は繰返すと思います。
そもそも計画停電は本当に必要だったかどうかの
検証もされなくてなりませんし、私は計画停電は原子力発電所がないと
電気が足りないというプロパガンダだったと思います。
関東圏内の原子力発電所が全て止まってる
今年の3月4月に計画停電を行わないでも生活できてますが
当時は計画停電で信号も使えなくなり
事故に遭われた方や病院に運ばれても医療設備が動かせず
重体になった方やお亡くなりになってしまった方もいると昨年は報道されてました。
あの計画停電は絶対に不要だったと私は思ってます。
震災直後、関東では唯一原子力発電所を有する茨城では
震災の被害でライフラインは断たれ、市民の生活が脅かされたにも関わらず
計画停電を問答無用で行われ知事が抗議してましたね。
私もその報道を見ながら怒るのはもっともだし
最も電力を消費する東京でやれよと思いました。
経済を優先するという理由で、東京は大部分で停電を行いませんでしたが
人の命や生活よりも経済を優先するということですよね。
経済も人がいてこそでしょう。経済の問題で
早く原発動かすべきなんて意見も未だにありますが
経済を考えるなら、発送電分離を早く進め
民間企業が発電事業に参加できるようにすべきです。
新たな産業として雇用もうまれ、競争により電気料金も適正な価格になるでしょう。
都内で生活してる友達に計画停電の話をすると
本当にそんなのあったんだ?なんて言われてしまってましたが
計画停電にはほとほと困らされたんですよ今さらですが。
当店は昼間から夜にかけての営業なので影響をかなり受けたのです。
3月中旬から4月初旬にかけては停電の影響で営業できない時間帯もありましたし
まだ寒かった時期なので暖房も使えなかったり仕入れも止まりで本当に大変でした。。
予定してた企画も中止せざるをえないものまで数本でてしまいました。
計画停電は、計画されてる停電が電気の使用状況で本当に行われるかどうか
その瞬間にならないとわからないというのも問題でした。
予定の時間になっても電気が使えるままで、やらないのかな?
と思うと30分くらいしていきなり電気が落ちたりとか。。
バックアップ電源のない病院などでは命に関わる問題もあったようです。
ただ、18時頃からの夜間帯に計画停電した時は
普段ネオンで明るい街中が真っ暗になり
ビル群の中を歩いてると大自然の森の中にいるような感覚になり
月明かりが眩しかった光景は衝撃的で忘れられません。
東京電力さんからは今後の対応について
進捗状況わかり次第ご連絡を頂けるというお話でしたが
期日を設けさせていただきたいとお願いしたのですが
期日に関してはお約束いただけませんでした。
今回、個人事業主として一人で伺ったのですが今後どうなるのでしょう?
進捗状況わかり次第日記に書きたいと思います。