slowtime blog

観念

2012.6.14.Thu

幼い頃より「疑問を持つのは良いこと」と思って生きてます。

ポリオの予防注射とか
チャイルドシート義務化とか
子どもに携帯電話持たせて安心だとかさ。
これってなんのためのキャンペーン?
全てそれ(商品)を売る側のためのキャンペーンじゃないの?
幼い頃そんなの全部なかったし
今も携帯電話持ってないけど
全く不便も不安も感じません。

最近の「原発再稼働しないと電力足りません。」
というキャッチフレーズにも本当かな〜?と疑問を持ってます。
問題は複雑だからと言いますが本当はすごく単純な話。
一般市民は電気を買う電力会社を選べず
民間企業を装った官業が独占してるのは問題。

だからこそ脱原発の署名に750万以上集まるわけだし
国民投票署名も規定に達してるのに
都知事一人の権限が一般市民より上なわけですか?
お上のやり方に文句言うんじゃねーってなことになってるから
市民の生活や財産を守る立場の人達が
どこまでもやりたいようにやるのですね。

それに気づいてる人はたくさんいるから
6万人のデモも行われて、750万以上の署名提出もされてるのに
なぜ報道されないんですかねえ。

読売→日テレ
産経→フジTV
朝日→テレ朝
毎日→TBS
日経→テレ東

一社一メデイアって法律ありますよね?
そもそも守られてないし、市民が問題に気づき
それを考えるための情報を流すべきはずの
マスコミは全く逆のことをしてるように思えます。
市民が気づかず考えさせないように疑問を持たせないように。

TPO(エチケット)とか言って
政治や宗教の話は公の場でしないようになんて言いますが
それだって気づいたり考えたり疑問を持ったりするきっかけになる
やりとり(情報交換)を市民同士でさせないようにしてるように思えます。
政治は生活に直結するんだから話すのはごく普通の当たり前のこと。

少し変わったことを言う人だとか
空気読めないとか、皆と違うとか
ネガテイブキャンペーンをはって
自分の意見を持たせず、疑問を抱かせず
誰もが気づかず、誰かの意見に従順のままでいさせるのは
誰にとって都合がいいことなのでしょう?

少なくとも自分にとって良いことだとは思わないので
俺はいつでも疑問を持っていたいのです。

自由でいるためには真実を知ってることが必要。
だから疑問があればいつでだって
それを解決しようと思うのです。

それが自分の観念。