slowtime blog

今日は忘れられない日

2007.12.3.Mon

CA390050
たまには個人的な日記を。

12/3は唯一無二の親友、光山智久くんの命日。
彼とは小学校~の付き合い。家も近所。
隣町同士だったので小学校の頃は、町内対抗のソフトボールで野次り合ったりもしました。
小6の頃~毎日のように遊ぶようになり一緒になってかっこつけて髪にムースつけたり
自転車改造してハンドル折れて田んぼに落ちたり。
中学になってからは、一緒に服を買いに出かけたり、ギターはじめたり
少ない小遣い握りしめ、張り合うようにいつも同じ事をしてました。

別々の高校に入学し、彼は自分より背も高くかなりの男前に。
それでも相変わらず一緒に遊んでました。バンド組んだりして。
夜な夜な彼の部屋で音楽聴いてギター弾いて、将来の夢
一緒にお店をやろうとか、音楽とか服の話とかたまには異性の話とかをして。
女子校の文化祭に一緒に出かけた事も。彼は人気者でしたね~。

高3の夏休み明けてすぐ彼が交通事故にあった夜
医師から「今夜がヤマ」と伝えられ、その夜は全く眠れなかったのが
まだつい最近のような気がします。
頭を強く打ってたので、毎日お見舞いで会ってる事を覚えていないらしく
「やっときたの~?」と事故後の数週間は言ってました。
「昨日も会ったよ」と言っても彼は「そうだっけ?」と。
それだけ大変な事故でした。

数ヶ月で退院し事故の後遺症(半身不随等になる恐れ)を抑える為に
薬を服用しながらも日常生活には問題なく
二十歳で彼の夢だった洋服屋に就職も決まり
1年足らずで店長に。

その後、彼のショップが全国の同じブランド店の中で
売上日本一に毎月のように輝いてたようです。
彼はシャイなのであまりそういうことを言いませんでしたが
恥ずかしそうに一度だけ話してくれました。

相変わらず一緒に呑み行って、夜中にラーメン食べて
「chicos」あたりで遊んでた二十代前半。
彼は24歳になった翌々日の12/3、くも膜下出血でいきなり他界してしまいました。
彼の誕生日(12/1)前日、「次いつ遊ぶ?」と聞いた彼に「また電話するよ」と
自分の実家と彼の実家の中間の場所で別れる時に話したのが僕達の最後でした。

彼は自分の事を「あいつは友達じゃない、ライバルだ」
と言ってたと彼の彼女に聞きました。
自分にとってはライバルというより憧れのような存在だったので
そう言ってると知った時、嬉しい反面、いつか本当に一緒にお店がやれるようにと
心に決めて頑張ってた自分にとって彼の死は重すぎました。
しばらくの間、1年くらい僕はほとんど抜け殻で。
あの頃を思うと両親の親心が胸に染みます。

1年の中でこの日だけはメランコリックな気持ちに。
個人的な日記ですみません。。。

写真はお店にある彼のターンテーブル&ギター!
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